スサノオの神話に学ぶ、スピリチュアルな成長の4つの物語|スピラボ

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スサノオ

スサノオは、アマテラス、ツクヨミと並ぶ三貴子(みはしらのうずのみこ)の一柱として、日本神話のなかでも、とりわけ人気のある神様です。泣きわめく子どものような一面もあれば、乱暴で手のつけられない一面もある。それでいて、最後には大蛇を退治する英雄にもなる。その、人間くさいほどの多面性が、多くの人の心をひきつけてきました。

この、荒ぶりながらも成長していくスサノオの物語を、わたしは、たんなる昔話としてではなく、ひとりの人間が、明け渡していた自分の中心を、一歩ずつ取り戻していく物語として読んでいます。泣いてばかりいた神が、過ちを重ね、孤独のなかで学び、やがて自分の力を人のために使う。それは、スピリチュアルな成長の道のりと、そのまま重なります。

わたしは、堂脇隆資(どうわき・たかし)。ディバインアルケミストとして、12年以上、のべ5万人を超える方(当社調べ)に、遠隔でエネルギーワークをお届けしてきました。その日々のなかで、何度も見てきたのは、人が変わっていくときの筋道が、驚くほどスサノオの歩みと似ている、ということです。神話は、遠い神々の話であると同時に、いまを生きるわたしたちの、心の地図でもあります。

この記事では、スサノオの神話を四つの転機に分けて、そこから読み取れる成長のポイントを、順にお伝えします。あわせて、どこまでが古事記や日本書紀に伝わる物語で、どこからがスピラボの読みなのかを、はっきり分けながら進めます。読み終えるころ、スサノオの荒々しい物語が、あなた自身の歩みを、静かに照らすものになっていたら、うれしく思います。

スサノオの神話は、成長の物語です。泣いてばかりいた神が、信頼を得て過信し、孤独から学び、やがて英雄になる。その四つの転機は、わたしたちの心の歩みと、そのまま重なります。

成長の到達点は、外の力ではなく、自分の中心です。スサノオは、明け渡していた自分の中心を取り戻していきます。スピラボは、この状態を「主権(ソブリン)」と呼びます。

原典と、読みを、分けて進めます。物語の骨組みは古事記・日本書紀に伝わるもの。そこから何を受け取るかは、スピラボの解釈です。両者を混ぜず、はっきり分けてお伝えします。

それでは、荒ぶる神スサノオの物語を、四つの転機にそって、たどっていきます。

スサノオとは——三貴子の一柱

四つの転機に入る前に、スサノオがどのような神様なのかを、簡単に整理しておきます。まず、その名の表記です。スサノオは、文献によって書き方が変わります。古事記では須佐之男命(すさのおのみこと)、日本書紀では素戔嗚尊などと記されます。本記事では、いちばん広く知られている「スサノオ」の表記で、統一してお伝えします。

スサノオは、アマテラス、ツクヨミとともに、三貴子と呼ばれる三柱の神の一柱です。古事記によれば、黄泉(よみ)の国から帰ったイザナギが、その穢れを落とすために禊(みそぎ)をした際、最後に鼻を洗ったときに生まれたのが、スサノオでした。ちなみに、左目からアマテラスが、右目からツクヨミが生まれたと伝えられています。イザナギは、三柱の貴い子を得たことを、たいそう喜んだといいます。

もう一つ、スサノオには珍しい特徴があります。日本神話の神々は、天上の高天原(たかまがはら)にいる「天津神(あまつかみ)」と、地上をもともと治めていた「国津神(くにつかみ)」とに、おおむね分けられます。ところがスサノオは、高天原で生まれながら、のちに地上へ降り、出雲の国を治めていきます。つまり、天と地の両方にまたがる、稀有な神なのです。この「両方にまたがる」性質は、これから見ていく成長の物語とも、静かに響き合っています。

付け加えるなら、スサノオの魅力は、その完璧さではなく、むしろ不完全さにあります。泣き、荒れ、過ちを犯し、それでも立ち上がる。神でありながら、これほど人間くさい神も、そう多くはありません。だからこそ、その歩みは、欠点だらけのわたしたちの成長を、そのまま映す鏡になり得るのだと、わたしは捉えています。完璧な手本ではなく、つまずきながら進む先達。それが、スサノオという神です。

成長の物語その一——泣いてばかりいたスサノオ

まず、原典の物語です。イザナギは、生まれた三貴子に、それぞれ治める場所を与えました。アマテラスには高天原を、ツクヨミには夜の世界を、そしてスサノオには海原を、と。ところが、アマテラスとツクヨミが与えられた役割を果たしたのに対し、スサノオだけは、母のいる黄泉の国へ行きたいと言って、何もせず、ただ泣き続けました。その泣き方があまりに激しく、山の草木は枯れ、悪しきものたちが騒ぎ出し、さまざまな災いが起きたと伝えられます。見かねたイザナギは、ついにスサノオを追放します。それによってスサノオは、姉アマテラスのいる高天原へと向かうことになりました。

ここからが、スピラボの読みです。「何もせず、ただ泣き続ける」というのは、わたしには、自分の中心を明け渡してしまった状態に見えます。与えられた場所に足をつけようとせず、「これは自分のやりたいことではない」「あれも向いていない」と、言い訳ばかりが先に立ち、具体的な一歩を踏み出せない。地に足がついていない、つまりグラウンディングができていない状態だと、わたしは捉えています。

この段階にいるとき、人には、こんな様子があらわれやすいものです。

  • 自分に何が向いているのか、分からない
  • 何をすればいいのか、決められない
  • 自分は不幸だ、と思い込んでいる
  • 頭のなかが、いつもごちゃごちゃして落ち着かない
  • 毎日をやり過ごすだけで、精一杯になっている

そして、スサノオの激しい泣き声が災いを呼んだように、この状態を放っておくと、それに呼応するように、重たいものや、うまくいかない出来事を、引き寄せてしまいがちです。けれど、物語は、ここで止まりません。スサノオは、追放というかたちで、いわば強制的にではありますが、泣き続けていた場所から、高天原を目指して歩き出しました。行き先を定めて、一歩を踏み出す。それだけで、人はこの段階から、静かに抜け出しはじめます。足もとに根を張るこの感覚を、日々のなかで育てておきたい方には、足の裏から根を張るグラウンディングの記事が、助けになります。

成長の物語その二——信頼を得て、そして過信したスサノオ

原典では、こう伝わります。高天原へ向かうスサノオの足音は、あまりに荒々しく、天地が揺れ、国じゅうが大地震のようだったといいます。その様子に、「スサノオが攻めてきた」と勘違いしたアマテラスは、武装して待ち構えました。悪意はないと訴えても信じてもらえないスサノオは、こう提案します。「たがいに誓いを立てて子を生み、その子の様子で、わたしの心を見てほしい」と。この誓約(うけい)によって生まれた子が、清らかな女神たちであったため、スサノオはアマテラスの信頼を勝ち取り、しばらく高天原で過ごすことになりました。ところが、スサノオはそれをいいことに、高天原で乱暴のかぎりを尽くし、多くの神々を困らせます。最後には、髪や髭を切られ、爪をはがされたうえで、地上へと追放されてしまいました。

ここからが、スピラボの読みです。疑われた状態から、自ら誓約を持ちかけ、信頼を勝ち取っていく過程を、わたしは、成功体験を一つずつ積み上げていく段階として捉えています。生きていくために必要な結果を出し、安定した足場をつくる。これは、成長の道のりの、大切な一段です。

けれど、物語はそこで、大きく揺り戻します。信頼を得たスサノオは、自分の力を過信し、傲慢になり、乱暴に走っていきます。その結果、せっかく得た居場所を、自ら失ってしまう。これは、神話のなかだけの話ではありません。うまくいきはじめたときにこそ、人は自分の力を過信し、まわりが見えなくなりやすい。だからこそ、この段階の課題は、謙虚さを、もう一度手もとに置くことだと、わたしは考えています。成功は、中心を明け渡す入口にも、中心を深める土台にもなります。その分かれ道が、ここにあります。

この分かれ道は、わたしたちの日常にも、くり返しあらわれます。仕事がうまくいき始めたとき、人から頼られるようになったとき、ふと、まわりの声が聞こえにくくなる。それは、だれにでも起こることです。大切なのは、過信そのものを責めることではなく、うまくいっているときほど、一度立ち止まって、自分の足もとを見つめ直すことだと、わたしは考えています。スサノオが失ったものは、力ではなく、その足もとの静けさでした。そして、その静けさは、いつでも、もう一度取り戻せます。

成長の物語その三——孤独のなかで学んだスサノオ

ここは、とくに、原典と読みを、丁寧に分けたいところです。原典として伝わるのは、次のことです。高天原を追われたスサノオは、地上をさまよいます。「高天原を追放された乱暴な神」として知れ渡っていたため、だれにも相手にされず、孤独な時を過ごした、と。そして、母のいる黄泉の国を目指して、ひとり旅をすることになります。古事記や日本書紀が、この時期のスサノオについて、はっきりと語るのは、おおむね、ここまでです。

そのうえで、ここからは、はっきりと、わたしの読みとしてお伝えします。この孤独の時間に、スサノオの内側で何が起きていたのか——それを、記紀の原典は、細かくは描いていません。ですから、これから書くことは、物語の余白に、わたしが読み取ったものです。わたしは、こう捉えています。だれにも相手にされない孤独のなかで、スサノオは、しだいに自分の来し方を振り返り、いかに自分が身勝手だったかを、静かに悔いていったのではないか、と。そして、自らを罰したアマテラスや神々に対してさえ、やがて感謝の念を抱くところまで、成長していったのではないか、と。

この、わたしの読みには、一つのポイントがあります。それは、同じ試練でも、その受け取り方しだいで、意味がまるで変わるということです。孤独という試練に打ちのめされて、自暴自棄になるのか。それとも、そこから学びを見出して、成長の糧にするのか。前を向くか、うずくまるかで、同じ出来事が、まったく別のものになります。闇のなかに、それでも一筋の光を見出そうとするとき、人ははじめて、心の底から感謝ということを知るのだと、わたしは捉えています。孤独は、中心を奪う穴にもなれば、中心を深める沈黙にもなる。スサノオがくぐったのは、後者だったと、わたしは読んでいます。

この段階は、多くの人にとって、いちばん出口が見えにくい時間かもしれません。うまくいかず、だれにも分かってもらえない。そう感じるとき、人はつい、自分を責めるか、世界を恨むかの、どちらかに傾きがちです。けれど、スサノオの孤独が、のちの英雄へとつながっていったように、うずくまっている時間そのものが、無駄だったわけではないと、わたしは捉えています。静かに自分と向き合うその時間は、外へ明け渡していた中心を、そっと自分の側へ引き戻すための、準備の時間でもあるのです。いま、孤独のさなかにいる方に、わたしがお伝えしたいことは、一つだけです。いまは、種をまいている時期なのだ、と。

成長の物語その四——英雄となったスサノオ

ふたたび、原典です。旅の果てに出雲の国へたどり着いたスサノオは、老夫婦と、泣いている一人の娘に出会います。わけを聞くと、八つの頭と八つの尾を持つ大蛇、ヤマタノオロチが、毎年、娘を一人ずつ食べてしまい、今度は最後の娘の番だというのです。スサノオは、その娘クシナダ姫を妻に迎えることを条件に、大蛇の退治を申し出ます。そして、ヤマタノオロチが酒を好むことを見抜いて策を講じ、見事に討ち取ります。英雄となったスサノオは、約束どおりクシナダ姫と結ばれ、出雲の国を治めていきました。

ここからが、スピラボの読みです。国を脅かす大蛇を退治し、人々を救うこの行いを、わたしは、自分の力を、自分のためだけでなく、人のために使う段階として捉えています。泣いていた神が、ここまで来ました。自らの喜びとともに、人の役に立つ生き方を、スピラボでは、ライトワーカーという言葉で呼ぶことがあります。それは肩書きや職業ではなく、一つの生き様のことだと、わたしは捉えています。(ライトワーカーそのものについては、いずれ別の記事で、詳しくお伝えします。)

そして、スサノオの物語は、ここで終わりません。大蛇を退治したあとも、クシナダ姫とともに国を治め、その営みを広げていきます。より大きな役割を担っていくことは、大きな力を持つ者の責任であり、その責任を引き受けられるからこそ、力もまた扱えるようになる。これは、神話のなかだけの理想ではなく、現実の歩みにも通じる筋道だと、わたしは考えています。ただし、ここで一つ、大切なことがあります。人のために力をふるう段階は、聞こえはよいのですが、自分の中心が定まっていなければ、たやすく、他人の評価を追いかける生き方に、すり替わってしまいます。だからこそ、英雄の段階でこそ、問われるのです。その力は、外からの称賛のためか、それとも、自分の中心から湧いてくるものか、と。

スサノオの物語は、あなたの物語——中心を、明け渡さない

四つの転機を、たどってきました。泣いてばかりいたスサノオ、信頼を得て過信したスサノオ、孤独から学んだスサノオ、そして英雄となったスサノオ。この歩みを一本の線でつないだとき、見えてくるものがあります。スサノオの物語は、外の力で英雄になる話ではなく、明け渡していた自分の中心を、一歩ずつ取り戻していく——主権の物語です。泣いていたスサノオは、中心を明け渡していました。英雄となったスサノオは、その中心を、自分の手に取り戻していました。二つのスサノオを分けるのは、力の大きさではなく、中心が、自分の内側にあるかどうか、なのです。

スピラボが「主権(ソブリン)」と呼んでいるのは、この、自分の人生の中心を、外の評価や状況に明け渡さず、自分の手に持っている状態のことです。そして、ここが大切なところですが、主権は、英雄になった瞬間に、いきなり手に入るものではありません。泣いていた段階にも、過信した段階にも、孤独の段階にも、そのつど、中心を取り戻す小さな選択が、積み重なっていました。あなたが、いま、四つのどの段階にいたとしても、それは、まちがった場所ではありません。スサノオがそうであったように、どの段階も、次へ進むための、意味のある一歩です。

もう一つ、スサノオの物語が教えてくれることがあります。それは、中心を取り戻すのは、一度きりの出来事ではない、ということです。英雄になったあとも、スサノオには、国を治めるという新しい役割と、それにともなう新しい試練が待っていました。主権とは、一度立てたら二度と揺らがない旗ではなく、日々、そのつど立て直していく、生きた営みです。だからこそ、うまく立てられない日があっても、それは後戻りではありません。立て直せるということ自体が、あなたの中心が、ちゃんとそこにある証しなのです。

では、その中心は、どうやって育てるのか。大蛇を退治するような、特別な冒険は、いりません。朝、少しだけ早く起きて、背筋をのばし、おへその下——丹田に、ゆっくりと息を送る。心がざわついたら、足の裏が地面についていることを、そっと思い出す。その小さな積み重ねが、どんな英雄譚よりも確かな、あなただけの中心を、内側に育てていきます。神話は、そのための、古くて力強い先生です。スサノオの荒々しい旅は、遠い神の話であると同時に、いま中心を取り戻そうとしている、あなた自身の物語でもあると、わたしは観ています。

なお、スサノオのような神様と、日々どのように縁を結んでいくかについては、氏神様への参拝の作法と、神社の歓迎サインの受け取り方の記事で、くわしくお伝えしています。神話を、自分の暮らしへ引き寄せたくなったとき、あわせて読んでみてください。

よくあるご質問

Q. スサノオとは、どんな神様ですか?

スサノオは、アマテラス、ツクヨミと並ぶ三貴子の一柱で、日本神話でも人気の高い神様です。古事記では須佐之男命、日本書紀では素戔嗚尊などと記されます。泣きわめく一面、乱暴な一面、そして大蛇を退治する英雄の一面という、人間くさい多面性を持っています。高天原で生まれながら、のちに地上の出雲を治めた、天と地の両方にまたがる稀有な神でもあります。

Q. スサノオの神話が、スピリチュアルな成長といわれるのは、なぜですか?

スサノオの歩みが、ひとりの人間が成長していく道のりと、そのまま重なるからです。泣いてばかりで動けない段階、成功して過信する段階、孤独から学ぶ段階、そして力を人のために使う段階。スピラボでは、この四つの転機を、明け渡していた自分の中心を、一歩ずつ取り戻していく物語として読んでいます。神話は、遠い神々の話であると同時に、いまを生きるわたしたちの心の地図でもある、というのがスピラボの捉え方です。

Q. 三貴子とは、なんですか?

三貴子とは、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱の神を指す呼び名です。古事記によれば、黄泉の国から帰ったイザナギが、穢れを落とす禊をしたときに生まれたとされ、左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれたと伝えられます。イザナギは、三柱の貴い子を得たことを、たいそう喜んだといいます。

Q. ヤマタノオロチ退治には、どんな意味がありますか?

原典では、スサノオが出雲で、八つの頭を持つ大蛇ヤマタノオロチを、酒を用いた策で退治し、クシナダ姫と結ばれて英雄となる物語です。スピラボでは、これを、自分の力を、自分のためだけでなく人のために使う段階の象徴として読んでいます。ただし、人のために力をふるう生き方は、自分の中心が定まっていないと、他人の評価を追う生き方にすり替わりやすい、という点も、あわせて大切にしています。

Q. 自分は、四つの段階のどこにいるのか分かりません。

分からなくても、心配はいりません。どの段階も、まちがった場所ではなく、次へ進むための意味のある一歩だからです。大切なのは、いまいる段階で、中心を少しでも自分の手に取り戻す、小さな選択を重ねることです。その中心は、朝に背筋をのばして丹田へ息を送る、心がざわついたら足の裏を思い出す、といった日々の習慣で育てられます。スサノオの物語は、どの段階にいる人のことも、静かに勇気づけてくれます。

Q. スサノオとアマテラスは、どういう関係ですか?

アマテラスとスサノオは、ともに三貴子で、姉と弟にあたります。原典では、高天原へ向かったスサノオをアマテラスが警戒し、たがいに誓いを立てて子を生む誓約(うけい)によって、いったんは信頼が結ばれます。その後、スサノオの乱暴によって、二柱のあいだには、一度、深い亀裂が入ります。この姉弟の物語は、信頼と、そのゆらぎ、そして時を経ての関わり直しという、人と人との関係にも通じる筋道を、わたしたちに見せてくれる、とわたしは捉えています。

※本記事は、スピラボの世界観に基づく表現を含みます。エネルギーワークは医療行為ではなく、診断・治療に置き換わるものではありません。神話の物語の骨組みは古事記・日本書紀に伝わるものを参照していますが、そこから読み取る成長の解釈は、スピラボの世界観に基づくものであり、特定の効果や結果を保証するものではありません。神話の記述には、文献によって異なる伝えがあります。感じ方や受け取り方には、個人差があります。気分の落ち込みや不安が強いとき、また続くときは、無理をせず、信頼できる方や医療・専門機関にご相談ください。
特定商取引法に基づく表記

【無料】ソブリン・チューニング

無料・遠隔の一斉ワーク

何があっても、自分の真ん中に戻れる。

人の言葉や、その場の空気に、いつのまにか引っぱられて——気づくと、自分の真ん中が、ぼやけている。そんな感覚に、心当たりはないでしょうか。

ソブリン・チューニングは、その日々のざわつきに、わたしが遠隔でエネルギーをお送りして、あなたの中心へ調子を合わせ直す、無料の一斉ワークです。整える力の置き場所は、いつも、あなた自身の中。それが、スピラボの考える主権(ソブリン)です。

※遠隔エネルギーワークです。スピラボの世界観に基づく表現を含み、感じ方には個人差があります。特定の効果や治療を保証するものではありません。


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