
新月の夜に、願い事を書く。そう決めて紙を出したのに、一行目を書く前に、確かめることばかりが増えていく。今夜はボイドタイムではないか。新月の瞬間から何時間以内か。何個まで書いていいのか。紙の色は。ペンの色は。
ようやく全部そろえて書き終えたあとは、今度は、届いたかどうかが気になります。そして次の新月が来るころには、あの紙をどこにしまったのか、思い出せなくなっている。
作法が増えるほど、書く前の準備が長くなります。そして準備が長かった夜ほど、書いたあとの手ごたえが薄い——そういうことが、起きます。
書いたのに叶わなかった、という記憶があるなら、それは、あなたの願う力が弱かったからではありません。むしろ、書き方の作法をきちんと守ろうとした人ほど、この道に入りやすいのです。
わたしは、堂脇隆資(どうわき・たかし)。ディバインアルケミストとして、12年以上、のべ5万人超の方(当社調べ)に、遠隔でエネルギーワークをお届けしてきました。そのあいだ、新月の夜に何をどう書けばいいのか、というご相談を、数えきれないほど受けてきました。
そこで、わたしが観てきたことを、先にひとつだけ書きます。新月の夜、空から月が消えるわけではありません。月はそこにいて、光の当たっている面が、こちらを向いていないだけです。願い事も、それとよく似ています。
新月の願い事は、宇宙への注文書ではありません。自分への布告です。どこかに届けて叶えてもらう依頼ではなく、次のひと巡りを「こう生きる」と自分に告げる文書です。
だから、叶える主体は、書いたあなた自身です。作法は、書きやすくなるための目安であって、守れなかったから無効になる、という仕組みのものではありません。
この記事は、その布告の書き方です。基本の型、自分に届かない書き方の構造、そして書いたあとの扱い方まで、順にお伝えします。
ひとつずつ、ひらいていきます。
新月とは何か——月が見えない夜に、空で起きていること
まず、空の話からです。新月の夜、わたしたちは月を見ることができません。けれど、月がどこかへ行ってしまったわけではありません。
月は、自分では光っていません。太陽の光を受けて、その反射がわたしたちの目に届いています。新月とは、月が太陽とほぼ同じ方向にあるときのこと。このとき、太陽に照らされている面——月の「光の面」は、地球とは反対の側、つまり太陽のほうを向いています。
月は、欠けたのではありません。光の面が、こちらを向いていないだけです。
見えないことと、無いことは、違います。新月の夜の月は、いちばん小さくなっているのではなく、光の面が、いちばんこちらから遠ざかっているだけです。そして、その夜を境に、光の面は少しずつこちらへ向きはじめます。満ちていくというのは、月が大きくなることではなく、向きが変わっていくことなのです。
もうひとつ。太陽とほぼ同じ方向にあるということは、新月の月は、夜空の側ではなく、昼の空の側にいるということでもあります。わたしたちが「今夜は月が出ていない」と思っているとき、月のほうは、明るい空の中にいます。見えないのは、隠れているからでも、消えたからでもありません。こちらを向いている面が暗く、そのうえ、空のほうが明るい——それだけのことです。
ここが、満月の夜のちょうど反対側にあたります。満月は、光の面がまるごとこちらを向いた夜です。この夜には、ふだんは沈んでいるものまで浮かび上がってくると、わたしは観ています。眠くなる、頭が重くなる、涙が出る——そういう夜の身体の話は、満月の夜の記事にゆずります。
新月は、その逆です。照らすものが、外にない。外からの光が消えて、残るのは自分の内側の声だけになります。だからこの夜に書く言葉は、外の何かに向けた文章ではなく、自分に宛てた文章になります。内側の声を聞き分ける話は別の記事にありますが、新月の夜は、その声がいちばん邪魔されにくい夜だと、わたしは観ています。
これは、わたしにとっては、比喩であると同時に、順序の話でもあります。満月の夜は、まわりがよく見えます。よく見えるということは、比べる相手もよく見えるということです。新月の夜は、それが見えません。比べる相手が見えない夜に出てきた願いは、比べた結果の願いとは、少し違う顔をしています。だから新月の紙には、その人の本当の順番が出やすいと、わたしは観ています。
なぜ、新月に願い事を書くのか——世の中の話と、わたしの見方
新月に願い事を書くという習慣は、いまではずいぶん広く知られています。よく語られるのは、こんな話です。新月は始まりのタイミングだから、ここで願いを書くと宇宙に届きやすい。引き寄せが起きやすい。だからボイドタイムを避け、新月の瞬間から決められた時間内に、決められた個数を書く——。
この話に惹かれてきたのなら、その感覚は間違っていません。新月に何かが始まるという感じ方は、空の順序と合っています。ただ、わたしの言葉に置きなおすと、届け先のほうが違います。
世の中で語られている願い事は、注文書の形をしています。どこかにいる大きな存在に向けて、ほしいものを書いて出す。書式を間違えると受理されない。だから作法が増えていきます。紙の色、ペンの色、時刻、個数。増えた作法は、そのまま「間違えたら届かない」という不安の量になります。
そして注文書には、必ず「待ち」がついてきます。出したあと、受理されたかどうかを外に確かめにいくことになる。ところが、確かめる先は自分の外にあるので、確かめようがない。確かめようのないものを待ちつづけると、待ちはだんだん、不安に変わっていきます。
スピラボでは、新月の願い事を、こう立てています。願い事は、宇宙への注文書ではなく、自分への布告です。
布告は、誰かに受理されてはじめて効力を持つ文書ではありません。出した瞬間に、発効しています。「こう生きる」と自分に告げた時点で、その言葉はもう、あなたの中で働きはじめている。だから、確かめにいく相手がいません。待ちが生まれません。
言い方を変えます。叶える主体は、書いた本人です。これは気合いの話ではなく、宛名の話です。注文書の宛名は外にあり、布告の宛名は自分にある。同じ紙に同じ言葉を書いても、宛名が違えば、翌朝の一日がまるで別のものになります。
ここからは、少しだけ言われたくない話かもしれません。叶わなかったと感じている願いのいくつかは、叶わなかったのではなく、はじめから宛名が自分ではなかった——そういうことが、あります。誰かに叶えてもらう前提で書かれた文は、書いた本人の一日を、ひとつも変えないまま紙の上に残るからです。
ついでに、ひとつ。「新月に書かないと、このひと巡りを逃す」という言い方を、ときどき見かけます。あれは、注文書の世界の話です。受付の窓口に締切がある、という前提がそこにはあります。布告に、受付はありません。書かなかった新月があっても、あなたの向きが失われることはありません。次の新月に、そのまま書けます。
もうひとつ、別の角度からも書いておきます。スピラボでは、人の状態をOS(基本ソフト)にたとえて説明することがあります。その言い方を借りるなら、新月は、OSの再起動点です。前のひと巡りで走っていたものが、いったん静かになる夜。
再起動の夜は、次に何を走らせるかを指定するのに、いちばん向いた時間帯です。願い事を書くというのは、その指定です。そして指定するというのは、結局のところ、自分の向きを決めることに他なりません。
何を書けばいいのか——布告になる願いの見つけ方
書き方の前に、何を書くかです。ここでつまずく方が、いちばん多いように思います。紙とペンは出したのに、一行目が出てこない。
出てこない理由は、たいてい同じところにあります。「ほしいもの」から探しはじめているからです。
ほしいものは、いま無いものの裏返しです。だから、ほしいものを探しにいくと、見つかるのは欠けているところのほうになります。そこから書きはじめた文は、どうしても「足りない」を主語にしてしまう。足りないを主語にした布告は、足りない状態をもう一度確認するだけの文になります。
出発点を、ひとつ手前に置きなおします。ほしいものではなく、どう在りたいかから始めます。
探し方は、こんなふうです。次の新月が来るころ——ひと巡りの終わりに、自分はどんな一日を過ごしているか。朝、目が覚めて最初に思うことは何か。誰と、どのくらいの距離にいるか。何に時間を使い、何に使っていないか。この四つを、想像するのではなく、思い出すように見にいきます。
そこに出てきた一日を、そのまま現在形で書けば、それが布告です。「◯◯を手に入れる」ではなく、「◯◯がある暮らしを、こんなふうに過ごしている」。願いの中身は同じでも、書いた瞬間に自分が立っている場所が変わります。
それから、これははっきり書いておきます。お金のこと、仕事のこと、人との関係のこと——具体的な願いを書いて、まったく構いません。具体は、俗ではありません。むしろ逆で、具体でない布告は、日常まで降りてきません。「豊かさを受け取っている」だけでは、明日の朝に何をすればいいのかが分からない。「毎月の支払いを、数えずに済ませている」まで書けば、明日の朝にすることが見えます。
抽象は美しく、そして動きません。布告は、動くために書くものです。
新月の願い事の書き方——基本の型
ここからは、実際の書き方です。先にひとつ、断っておきます。これから書く型は、整いやすくなるための目安であって、守れなかったら効力を失う条件ではありません。布告に条件をつけられるのは、外の誰かではなく、書いたあなただけだからです。
1. 書きはじめる前に、中心に手を当てる
紙とペンを出したら、一行目の前に、ひと呼吸だけ置いてください。おへその下——スピラボで丹田と呼んでいるあたりに手を当てて、そこへ息が入っていくのを、しばらく感じます。それだけです。
頭で考えた願いと、中心から出てきた願いは、書いているときの手の速さが違います。頭のほうは早くて、いくらでも出てきます。中心のほうは遅くて、数が少ない。遅くて少ないほうを、採ります。
ここが、主権(ソブリン)の入口です。自分の願いを、自分の中心から出す。誰かに決めてもらった願いを、代筆しない。たったそれだけのことが、布告と注文書を分けています。
2. 手で、紙に書く
まずは、紙とペンで書きます。すすめる理由があります。手は、思考より遅いからです。
キーボードは、思いついた速さのまま文字になります。手書きは、そこに追いつきません。追いつかないあいだに、書きかけの言葉をもう一度見ることになる。「本当にこれか」と自分に聞き返す時間が、字を書く速度の中に、自然に挟まります。
それから、紙は消えません。あとで読み返したとき、書き直した跡や、力の入った字が、そのまま残っています。あの夜の自分が何を迷ったかが、字の側に記録されている。
スピラボでは、書くという行為を、体感を現実の輪郭に変える工程として見ています。感じたことを、言葉にする。言葉にしたものを、あとで読んで思い出す。思い出せるようになったものは、日常のなかで再現できるようになる。願いを書くというのは、まだ形を持たない体感に、輪郭を与える作業です。この工程そのものについては、書くことについての記事に、別に一本まとめてあります。
どうしても手書きが難しい夜は、スマートフォンのメモでも構いません。その場合は、あとで一度だけ紙に書き写してください。このあとの扱い方は、その紙で進めます。
3. 肯定形で、いまの形で書く
「〜がなくなりますように」ではなく、「〜である」。「〜できますように」ではなく、「〜している」。
たとえば「締切に追われませんように」は、「余裕をもって、一日を進めている」に書き直せます。「お金の不安がなくなりますように」は、「支払いのたびに、数えずに済んでいる」に書き直せます。願っている中身は同じですが、あとで読み返したときに目へ入るものが、まるで違います。
理由は、あとの「自分に届かない書き方」で構造ごとお伝えしますが、ひとことで言えば、文の形が、そのまま向きになるからです。言葉が現実にどう働くのかという話は、言葉の力についての記事にまとめてあります。
4. 数は、書ききれるだけ
世の中では「10個まで」とよく言われます。あの数字は器の話であって、ノルマではありません。10個そろえようとして8個目から埋め合わせの願いになるくらいなら、本気の1個で足ります。
書きながら「これは、人に言われたから書いている」と気づいたものは、線を引いて消していい。消した跡も、あとで読むと立派な情報になります。
5. いつ書くか——時間の目安と、目安が外れたとき
世の中では、新月になった瞬間から何時間以内に書くとよい、という言い方をします。ただ、その何時間かは、伝えている人によって違います。数字を突き合わせて正解を探す場所ではありません。覚えておくとよいのは、数字のほうではなく、書く時刻を自分で決めておくと、その夜が「書く夜」になる、ということだけです。
ただ、この目安に、あなたの布告を取り消す力はありません。寝てしまった夜も、忘れていた夜も、思い出した時点から書けます。それぞれの新月の空がどうなっているかは、天体ガイドの記事にまとめています。
自分に届かない書き方——三つの構造
「こう書いてはいけない」というリストを作るつもりはありません。禁止が増えるほど、書けなくなるからです。かわりに、自分に届きにくい文に共通している構造を、三つだけお伝えします。人の問題ではなく、文型の問題です。
ひとつめ。否定形。「もう不安になりませんように」と書いた紙を、あなたはこのあと何度か読み返すことになります。そのたび、目に入るのは「不安」という言葉です。否定形とは、打ち消したい対象を、いちばん長く見つめることになる文型なのです。「安心して眠っている」と書けば、読み返すたびに目に入るのは、安心のほうになります。
ふたつめ。他の人が主語。「あの人が変わりますように」「上司が理解してくれますように」。この文の主語は、あなたではありません。あなたが動かせない場所に、あなたの願いを預けている形です。主語を戻すと、文はこう変わります——「わたしは、あの人と、こういう距離で暮らしている」。変えるのは相手ではなく、自分の立ち位置のほうになります。
みっつめ。与えられる形。「◯◯が与えられますように」「チャンスが来ますように」。悪い願いではありません。ただ、この文で自分に割り当てているのは、受け取り手の席です。布告は、立つ席が違います。「わたしは、◯◯を受け取れる場所に立っている」——願っている中身は同じでも、座る席が変わります。
三つとも、直し方は同じです。主語を、自分に戻します。
| 自分に届きにくい書き方 | 宛名を自分に戻した書き方 |
|---|---|
| もう不安になりませんように | 安心して眠っている |
| あの人が変わりますように | あの人と、こういう距離で暮らしている |
| チャンスが与えられますように | 来たものを受け取れる場所に、立っている |
右の列が、左の列より上等な願いだ、という話ではありません。右の列のほうが、あなたの明日の行動につながりやすい、というだけの話です。
三つに共通しているのは、文の主語が、自分から離れていることです。能力の話でも、心がけの話でもありません。どこに宛てて書いたか、それだけの違いです。そして宛名は、書き直せます。
新月の願い事とアファメーションは、何が違うのか
「新月の願い事」と「アファメーション」は、よく並べて語られます。なりたい状態を肯定形で言葉にする、という点では同じものです。違うのは、頻度と、役割です。
アファメーションは、日々くり返す言葉です。毎朝、毎晩、何度も口にして、その状態を自分にとっての当たり前にしていく。役割で言えば、向きを保つための、日々の手入れです。
新月の願い事は、くり返しません。空がひと巡りする、その始まりの夜に、一度だけ書きます。役割で言えば、向きそのものを決め直す夜です。
もうひとつ違うのは、声をかける相手の距離です。アファメーションは、いまここにいる自分に向かって、毎日同じことを言います。新月の願い事は、ひと巡りあとに立っている自分に向かって、一度だけ言います。近くに毎日声をかけるのと、少し先にいる自分へ一度だけ声を届けるのとでは、言葉の働き方が変わります。
どちらかを選ぶ必要はありません。むしろ、向きを決めた夜があるからこそ、日々の言葉が迷子にならずにすむ——わたしは、そう観ています。
書いたあとの、扱い方
書いて終わりにすると、その紙は次の新月までにどこかへ消えます。だから、書いたあとをどうするかまでが、この作法の続きです。
しまう場所は、見返せる場所に。財布、手帳のあいだ、机の引き出しの手前。開けるたびに目に入る場所である必要はありませんが、探さずに出せる場所であることは、必要です。
腰を据えて読み返すのは、月が満ちてきたころに一度。光の面がこちらを向いてきて、月がまるく見えるあたりの夜に、一度だけ、ゆっくり開きます。しまい場所でふと目に入るくらいは、何度あっても構いません。避けたいのは、毎日の答え合わせのほうです。満ちる側の夜の使い方については、満月の過ごし方の記事にまとめてあります。
このとき、読み返しを採点にしないことです。「どれだけ進んだか」ではなく、「まだ、これでいいか」を確かめる。それが読み返しの用途です。進んでいなくても、向きが合っているならそれでいい。読んでみて違和感があれば、その違和感のほうが新しい情報になります。
読み返して、恥ずかしくなることがあります。あんなに大きなことを書いて、と。あの感覚は、失敗の合図ではありません。書いた夜の自分が、いまの自分より少しだけ先に立っていた、というだけの合図です。恥ずかしさは、距離につけられた名前です。距離があるということは、歩く先があるということです。
それから、握らないこと。書いた言葉を毎日握りしめて確かめていると、布告はいつのまにか注文書に戻ってしまいます。握った手をひらく話は、それだけで一本になる話なので、別の記事にゆずります。
叶わなかった願いのことも、書いておきます。消さなくて大丈夫です。次の新月に、同じ言葉をもう一度書けばいい。同じ言葉を二度書くのは、失敗の記録ではなく、更新の記録です。三度書いてもまだ書きたいなら、それは、あなたが本気で向きたい方向だということです。
逆に、二度目を書こうとして手が止まったなら、その願いは、あなたの中でもう役目を終えています。新しい紙に書かなくて構いません。次の新月は、めぐってきます。
そして次の新月が来たら、前の紙を、新しい紙のとなりに置いてください。捨てなくていい。並べて読み返すと、自分がどの向きに、どれだけ長く立ちつづけてきたかが見えてきます。紙が増えるほど、あなたの向きは読みやすくなります。願いが積み上がるという意味ではありません。あなたの筆跡のほうが、あなた自身の地図になっていくという意味です。
よくあるご質問
Q. ボイドタイムは、気にしたほうがいいですか?
ボイドタイムは、占星術で語られる区切りの時間です。この時間帯を外したほうが落ち着いて書ける、という感覚があるなら、外してかまいません。ただ、そこで書いたから無効になる、という仕組みのものではありません。布告の効力は、時計の側ではなく、書いた人の側にあります。時間を調べているうちに書く気持ちのほうがしぼんでしまうくらいなら、いま書けるときに書くほうを、わたしはおすすめします。
Q. 新月の夜を過ぎてしまいました。もう書けませんか?
書けます。思い出した時点が、あなたにとっての書きどきです。新月の瞬間から何時間以内という作法は、書きやすくするための目安として広まったもので、締切として決められたものではありません。過ぎたことを気にして書かずに終わる夜より、遅れて書いた夜のほうが、次のひと巡りの向きは決まります。そして次の新月も、めぐってきます。
Q. 書いたのに叶いませんでした。意味がなかったのでしょうか。
意味がなかったわけではありません。まず確かめていただきたいのは、その文の宛名です。誰かに叶えてもらう形で書かれていた場合、その文は、書いた本人の一日をひとつも変えないまま残ります。宛名を自分に戻して、同じ願いをもう一度書いてみてください。それでも動かないようなら、その願いは、いまのあなたの本当の望みとは少しずれているのだと思います。ずれに気づけたことは、叶ったこととは別の収穫です。
Q. アファメーションと、どちらを書けばいいですか?
両方あって困りません。役割が違うからです。アファメーションは日々くり返して向きを保つ手入れ、新月の願い事は向きそのものを決め直す夜の一回です。どちらか一方から始めるなら、新月の一回のほうが迷いにくいと、わたしは考えています。向きが決まっていると、日々の言葉も置きどころが定まるからです。
Q. ピンクの紙や、専用のノートは必要ですか?
必要ありません。手元にある紙で足ります。道具にこだわること自体は悪いことではなく、儀式として気持ちが整うなら、それには意味があります。ただ、道具がそろわないから今回は書かない、という順番になってしまうなら、道具のほうを外してください。整えるべきは、紙の色ではなく、宛名です。
Q. 書いた願い事は、人に見せてもいいですか?
見せても、見せなくても、どちらでも構いません。布告は、隠さなければ効力を失う種類の文書ではありません。ただ、ひとつだけ。人に見せる前提で書きはじめると、文がすこしずつ、その人に向けた言葉に寄っていきます。宛名は、あなたです。書き終えたあとで見せるぶんには、何も損なわれません。
Q. 今月の新月がいつなのか、どこで確かめられますか?
スピラボでは、空の節目ごとにガイド記事を出しています。日付や時刻、その回の新月がどんな性質を持つのかは、天体ガイドの記事でご確認ください。この記事のほうは、いつの新月でも同じように使える書き方を扱っています。
向きを決められるのは、あなただけ
ここまで、新月の夜に何を書くかという話をしてきました。作法もいくつか挙げましたが、いちばん大事なところは、たぶんもっと手前にあります。
月の向きは、あなたの願いとは関係なく決まっています。誰が何を書いても、光の面は決まった順序でこちらを向き、また背を向けていきます。天体は、暦です。あなたを支配する側にはいません。
決められるのは、あなたの向きだけです。そして、それはいつでも決められます。自分の向きを、自分で決めて、自分に告げる——スピラボでは、それを主権(ソブリン)と呼んでいます。新月の夜は、その決め直しがいちばん静かにできる夜だ、というだけのことです。
月は、欠けたのではありません。光の面が、こちらを向いていないだけです。あなたの願いも、消えたわけではありません。まだ、こちらを向いていないだけです。そして向ける手のほうは、はじめからあなたの側にあります。
今夜、紙を出せなくてもかまいません。出せなかった夜に、あなたの願いが減ることはありません。根を張れ。そうすれば、空に届く。
※本記事は、スピラボの世界観に基づく表現を含みます。エネルギーワークは医療行為ではなく、診断・治療に置き換わるものではありません。新月・願い事に関する記述はスピラボの世界観に基づくものであり、特定の効果や結果を保証するものではありません。感じ方やあらわれ方には、個人差があります。眠れない日が続く、気持ちが落ち込んで動けないなど、日常生活に支障がある状態のときは、スピリチュアルの前に、医療機関・専門の相談窓口にご相談ください。
特定商取引法に基づく表記






