
手放したほうがいい。どこかで、そうわかっている。それでも、手が離せない——そんな心当たりは、ないでしょうか。着なくなった服が、クローゼットの奥で場所を取り続けているのに、なぜか捨てられない。使わない物ひとつでさえ、そうなのですから、もう戻らない関係や、過ぎ去った出来事、いつかの自分への期待となれば、なおさらです。
握りしめたまま、疲れている。ほどきたいのに、ほどけない。もし、いまそんな状態にいるとしても、どうか、自分を責めないでください。手放せないのは、あなたの意志が弱いからではありません。むしろ、手放せないものほど、あなたが真剣に生きてきた証しでもあるのです。
わたしは、堂脇隆資(どうわき・たかし)。ディバインアルケミストとして、12年以上、のべ5万人超の方(当社調べ)に、遠隔でエネルギーワークをお届けしてきました。その日々のなかで、「手放す」という言葉のまわりで人がどう揺れ、どう軽くなっていくのかを、数えきれないほど見てきました。そして、たどり着いた考え方があります。
この記事では、手放すとは本当は何なのか、なぜこれほど手放せないのか、そして「手放すと入ってくる」という言葉の受け取り方までを、実際にワークに取り組んだ方の声とともに、ゆっくりお伝えします。
手放すとは、捨てることでも、諦めることでもありません。「握り続けるかどうかを、自分で選び直すこと」。それが、スピラボの考え方です。
手放せないのは、意志が弱いからではありません。執着は、あなたを守ろうとした心の働きの、痕跡です。
一度で手放せなくて、大丈夫です。手放せない日は、手放さないと決めていい。急がなくて、いいのです。
ここから、ひとつずつ、ほどいていきます。
「手放す」とは何か——スピラボの考え方
「手放す」と聞くと、多くの方が、失うことをイメージします。捨てる。諦める。忘れる。距離を取って、なかったことにする。けれど、わたしは、手放すをそのようには観ていません。
手放すとは、捨てることでも、諦めることでも、忘れることでもない。「握り続けるかどうかを、自分で選び直すこと」だと、わたしは観ています。いま握っているものを、これからも握り続けるのか。それとも、そっと手を開くのか。その選択の主導権を、外や過去や誰かではなく、自分の手に取り戻すこと。それが、手放すということです。
言いかえれば、手放すとは、主権(ソブリン)の選び直しです。あなたの中心が、いま何を握っているのかを見つめ、握るか手放すかを、自分で決める。無理やり引きはがすのでも、我慢して耐えるのでもありません。ただ、選ぶ側に、自分が戻る。手放すは、喪失の技術ではなく、選択の回復なのです。
だから、手放すは、力の要る作業ではありません。ある方は、ワークのあとに、こんな気づきを綴ってくださいました。
手放すと、決めている私がいることにも気付きました。
ぱるみさんの言葉です。「手放すと、もう決めている自分がいる」——ここに、すべてが表れています。手放すは、歯を食いしばって達成する目標ではなく、気づいたときにはもう、自分のなかで決まっている選択のようなもの。「よし、手放すぞ」と気合いを入れる前に、心のいちばん深いところでは、すでに向きが決まっている。この、自分より少しだけ先を知っている部分を、スピラボではハイヤーセルフと呼んでいます。あとは、その決定に、意識が追いつくのを待つだけです。手放すの主語は、いつでも、あなた自身です。この一点を握っておくと、これから先の話が、ぐっと軽くなります。
なぜ、手放せないのか
では、手放すが「選び直すこと」なら、なぜ、わたしたちはこれほど手放せないのでしょうか。それは、握っていること自体に、ちゃんとした理由があるからです。手放せないものの奥には、たいてい、三つの心の働きがひそんでいます。
握っているものが、自分を支えている
ひとつめは、握っているものが、いまの自分を支えてくれている感覚です。それが古い関係でも、こじれた感情でも、過ぎた出来事でも——握っているあいだは、少なくとも「よく知っている自分」でいられます。手放した先の自分が、どんな姿になるのかわからない。その未知への不安が、手を握らせ続けます。だから、手放せないのは、臆病だからではありません。慣れた自分を、守ろうとしているだけなのです。そしてときには、手放したい対象そのものよりも、それを握っている自分の姿のほうを、見たくないことがあります。切り離してきた自分——影と呼ばれるものとの向き合い方は、シャドウワークについてまとめた記事でお伝えしています。
損をする、という恐れ
ふたつめは、手放すと損をする、という恐れです。ここまで積み上げてきたものを、いま手放したら、これまでの時間や努力が無駄になってしまう気がする。世間の基準で見れば、手放すのは損に思える。そうやって、手放したくないというより、損をしたくないという理由で、握り続けてしまう。気づけば、選ぶ基準そのものが「本当はどうしたいか」ではなく「どちらが損をしないか」に、すり替わっている。誰に強制されたわけでもないのに、自分で自分を、崖っぷちに立たせていた——ワークのなかで、そう気づく方は少なくありません。
欠乏と執着の、堂々巡り
みっつめは、いちばん根の深いものです。足りない、という感覚(欠乏)があるから、何かにしがみつく(執着)。けれど、しがみつくことで、かえって足りない状態に、自分をとどめてしまう。この循環を、ある方が、みごとに言語化してくださいました。
欠乏があるから執着があって、だけど執着するから欠乏に留まろうとするような堂々巡りの性質があり、これまでの人生でも、ずっとこのエネルギーと向き合い続け、少しずつ少しずつコツコツと消化してきた感じです。
kaoriさんの言葉です。欠乏があるから執着し、執着するから欠乏にとどまる。この堂々巡りのなかにいると、握る手にますます力が入り、ほどくきっかけが見えなくなります。けれど、逆に言えば——この構造に気づいた瞬間から、ほどけはじめます。kaoriさんも、この執着を留めていたものが「スコンと抜けた」と、そのあとの変化を綴っていました。
ここで、大切なことをお伝えします。この三つは、どれも、あなたを守ろうとした心の働きです。執着は、欠点ではありません。かつてのあなたが、傷つかないために、生き延びるために、必死で握った痕跡です。だからまず、手放せない自分を責めるのではなく、「よく、ここまで握って守ってきたね」と、いたわってあげてください。恐れを否定しないこと。それが、手放しの、いちばん最初の一歩です。
なお、手放せないものの代わりに、別の何かへ強く頼ってしまうことも、よくあります。頼ることそのものとの、健やかな距離については、スピリチュアルに疲れたと感じるときの記事にゆずります。そして、なぜ内側の握りが自然にほどけていくのか——その全体像は、エネルギーワークとは何かをまとめた総合ガイドでお伝えしています。
諦めることと、手放すことの違い
ここで、多くの方がつまずくところを、はっきりさせておきます。手放すことと、諦めることは、まったく別ものです。似ているようで、向きが正反対だからです。
諦めるとは、外の力に、決定権をあずけること。「どうせ無理だ」「自分にはできない」と、状況や運命に、選ぶ権利を明け渡してしまう。主語が、自分から、状況へと移っていきます。いっぽう手放すとは、握るかどうかを、自分で選び直すこと。主語は、最後まで自分のまま。同じ「手を離す」でも、力を明け渡して離すのか、自分の意志で離すのかで、その先はまるで違ってきます。
| 諦めること | 手放すこと |
|---|---|
| 外の力に、決定権をあずける | 握るかどうかを、自分で選び直す |
| 「もう無理だ」と、力尽きて離す | 「もう握らない」と、意志で選ぶ |
| 主語が、状況や運命になる | 主語が、最後まで自分のままでいる |
たとえば、ある関係を思い浮かべてみてください。「もうダメだ、自分には変えられない」と力尽きて離れるのが、諦め。「この関係を握り続けることを、わたしはもう選ばない」と、静かに手を開くのが、手放し。外から見れば、どちらも同じ「離れる」に見えます。けれど、離れたあとに、手のなかに残るものが違う。諦めは、無力感を残します。手放しは、自分で選んだという確かさを、あなたの手のなかに残します。
だから、「手放す」と決めるとき、あなたは弱くなっているのではありません。むしろ、いちばん主体的な選択をしています。諦めのため息と、手放しの深呼吸は、見た目は似ていても、まるで違う。あなたがいましようとしているのは、諦めではなく、選び直しです。
「手放すと入ってくる」は、本当か
手放しについて調べていると、「手放すと入ってくる」という言葉に、よく出会います。手放せば、望んでいたものがやってくる、と。これは、本当なのでしょうか。わたしは、こう考えています。順序としては、うなずける。けれど、取引にした瞬間に、こわれる。
まず、こわれ方のほうから。「入ってくることを目当てに手放す」としたら、それはもう、手放しではありません。「これを手放せば、あれが手に入るはずだ」という、条件つきの取引です。取引である以上、握る手には、まだ力が入ったまま。手放したふりをして、実は「見返り」を、より強く握っている。だから、入ってこない。手放しが目的ではなく手段になった瞬間に、それは執着の、かたちを変えた続きになってしまうのです。
では、順序として、うなずけるのはなぜか。答えは、とてもシンプルです。握っていた手が空くから、受け取れるようになる。両手いっぱいに何かを抱えたままでは、新しいものを受け取る余白がありません。手を開いてはじめて、そこに、入ってくるための空間が生まれる。つまり「手放すと入ってくる」は、魔法の因果ではなく、手が空くという、ただの順序なのです。入ってくることを狙って開くのではなく、開いた結果として、たまたま手が受け取れる状態になっている。この違いは、小さいようで、決定的です。
ある方が、その順序を、力みのない言葉で振り返ってくださいました。
もういいかと諦め、そこに意識を向けなくなったら、叶っていました。今振り返ると、叶える方法への執着もあったかもしれません。
Tさんの言葉です。ここには、約束も、狙いもありません。「もういいか」と力を抜いて、意識を向けなくなった。そうしたら、あとから振り返って、叶っていた。しかも「叶える方法への執着もあったかもしれない」と、握っていたのは望みそのものではなく、叶え方への執着だったことにまで、気づいておられます。手放すと必ず入ってくる、とは言えません。あらわれ方にも、時期にも、個人差があります。けれど、狙いを手放した先で、静かに何かが動きはじめる——そうしたお声を、わたしは数多く受け取ってきました。だから、どうか、入ってくることを、手放しの動機にしないでください。手を開くこと自体を、目的にしてあげてください。
どうやって、手放していくのか——5つの小さな実践
ここからは、暮らしのなかでできる、手放しの実践です。大きな決断は、要りません。手放しは、一度の英断ではなく、小さな選び直しの積み重ねだからです。次の5つを、できそうなものから、ひとつだけ試してみてください。
- 言葉にして、選び直す。握っているものを、紙に書き出してみる。書くと、頭のなかのもやが、目の前のひとつの対象に変わり、握るか手放すかを選べるようになります。書いて内側をほどく方法は、書く内省(ジャーナリング)のやり方で詳しくお伝えしています。
- 静かに座って、眺める。手放そうと力むのではなく、握っている自分を、ただ眺める時間を持つ。眺めているうちに、力は自然にゆるみます。座って行う内省は、瞑想の始め方をまとめた記事を入口にどうぞ。
- 地に足をつける。手放せないときほど、意識は上へ上へと上ずっています。まず、足の裏から下へ、重心を戻す。中心が定まると、握る手も、ふっとゆるみます。やり方は、グラウンディングのやり方をご覧ください。
- いちばん小さなものから、手放してみる。いきなり、人生の大きな何かに挑まないこと。使わない物ひとつ、返せていない小さな約束ひとつ。手放せた、という感覚を、体に覚えさせるところから始めます。
- 手放せない日は、手放さないと決めていい。今日は握っていたい。そう思う日は、無理に開かなくていいのです。「今日は手放さない」と自分で決めることも、りっぱな主権の行使。手放すも、握るも、選んでいるのが自分なら、それでもう十分です。
5つとも、共通しているのは、力ずくで引きはがそうとしていないことです。手放しは、握力の勝負ではありません。中心に還って、力を抜くと、握っていたものが、手のひらから、ひとりでに滑り落ちていく。そんなふうに起きるのが、いちばん自然な手放しだと、わたしは観ています。なお、ここでいう中心は、あたまではなく、からだの真ん中にあります。その在りかについては、丹田についての記事でお伝えしています。
一度で手放せなくて、いい
手放しについて、いちばんお伝えしたいことが、これです。手放しは、一度きりの出来事ではありません。手放したつもりで、また握っている。それに気づいて、もう一度、手を開く。その繰り返しのなかで、少しずつ、握力がゆるんでいく。それが、本当の手放しの姿です。
ある方は、こんなふうに、笑いながら綴ってくださいました。
全て手放せた!と思っていたのですが、奥底にまだたっぷりありました(笑)
すくぴさんの言葉です。この「(笑)」に、手放しの本質があります。全部手放せたと思っても、奥底には、まだたっぷり残っている。それは、失敗ではありません。手放しが、それだけ深いところまで続いていく、というだけのこと。「手放したのに、また握っていた」を、失敗にしないでください。それは、あなたの手放しが、次の層まで進んだ、というサインです。何度も同じ執着が戻ってくるように見えても、戻ってくるたびに、握る力は、少しずつ弱くなっています。
だから、自分を採点しないこと。「まだ手放せていない」と責めるほど、握る手には力が入ります。今日ほどけたぶんを、ちゃんと認めてあげる。それが、いちばん遠くまで連れていってくれる歩き方です。
手放しに、締め切りはありません。何年かかっても、途中で長く止まっても、いいのです。大切なのは、手放せたかどうかという結果ではなく、握るか手放すかを、そのつど自分で選んでいるかどうか。選んでいる自分が、そこにいる限り、あなたの主権は、もう戻ってきています。
ただし、ひとつだけ、はっきりお伝えしておきたいことがあります。深い喪失や、大切な人との死別の悲しみ。あるいは、日常が立ちゆかないほど長く続くつらさ。それらは、「手放せない自分」の問題ではありません。時間をかけて、ゆっくりと悲しんでよいものであり、ときには、専門家の手を借りてよいものです。ひとりで抱え込まず、医療機関や、心の専門家(グリーフケアの窓口を含みます)に、どうか相談してください。手放すことを、急がなくていい領域が、確かにあります。
握っていた手が、ひらくとき
手放しが起きるとき、人は、どんな感覚を味わうのでしょうか。ある方が、その瞬間を、忘れがたい比喩で残してくださいました。
ぎゅっと硬く握りしめていた手をそっと開いてくれるような
U.V.Sさんの言葉です。ぎゅっと硬く握りしめていた手を、誰かがそっと、開いてくれるような感覚。無理やりこじ開けるのではなく、力が抜けて、自然にひらいていく。手放しがうまくいくときは、たいてい、この「そっと」の温度で起こります。そして、握っていた手がひらくと、そこにようやく、次のものを受け取るための——そして、根を張るための——余白が生まれます。
その余白は、あわてて何かで埋めなくて、かまいません。空いた手のひらは、しばらくのあいだ、ただ空いたままでいい。焦って次の何かを握りにいけば、また同じ堂々巡りが、静かに始まってしまいます。手放したあとの、少しさびしいような、身軽なような時間。その静けさに、しばらく身を置いてみてください。根がゆっくりと下へ伸びていくのは、たいてい、この、何も握っていない余白のなかでのことです。
スピラボの遠隔ワークでは、同じ時期に、参加者の皆さんが、それぞれの手放しへ静かに向き合います。ひとりで力むのとは違う、そっと背中を支えられるような後押し(共振)が働く。そう感じたという声も、少なくありません。遠隔でエネルギーが届くという仕組みそのものについては、遠隔ヒーリングの記事にゆずります。とはいえ、いきなりワークから始める必要はありません。まずは、いちばん静かなところから、体感してみることをおすすめします。
まず、受け取る体験から
手放そうと力む前に、まず、中心に還る。その静かな入口として、スピラボには、ソブリン・チューニングという、無料で受け取れる遠隔ワークがあります。無料であることは、迷っているあなたに向けての、いちばん正直なご案内のかたちです。
受け取り方は、かんたんです。静かな時間に、案内に沿って「ソブリンチューニングを受け取ります」と、心のなかで宣言する。それだけです。この宣言という行為が、なぜそれだけで主権のかたちになるのか——その理由は、言霊についての記事でお伝えしています。強い刺激で何かをはがすのではなく、自分の中心に、そっと還るための時間だと思ってください。中心が定まると、握っていた手の力は、あなたが何もしなくても、自然にゆるみはじめます。
そして、これだけは、お伝えさせてください。手放してから、来てください、とは言いません。握ったままで、いいのです。握りしめたその手のままで、来ていい。手放せていない自分を、入場資格のように問うことは、しません。もし「まだ早いかもしれない」と感じるなら、その直感も、どうか大切にしてください。受け取るか受け取らないかを決めるのは、いつでもあなたです。今でなくても、扉は開いたまま、待っています。
ソブリン・チューニング(無料)
あおらない、急がせない。握ったままでも大丈夫。自分の中心に還る時間を、まずは無料で体感してみてください。
受け取りは、あなたのタイミングで。今でなくても、扉は開いたまま待っています。
特定商取引法に基づく表記
よくあるご質問
Q. 手放したいのに手放せないのは、意志が弱いからですか?
いいえ。手放せないのは、意志の弱さではなく、握っているものが、いまのあなたを守ってくれているからです。執着は、傷つかないために心が働かせた、自然な仕組みです。まず、責めるのをやめて、「よく守ってきたね」と自分をいたわるところから始めてください。ゆるむのは、そのあとです。
Q. 「手放すと入ってくる」は、本当ですか?
入ってくることを目当てに手放すと、それは取引になり、握る手はゆるみません。順序として言えるのは、握っていた手が空くから、受け取れるようになる、ということです。狙って開くのではなく、開いた結果として、受け取れる状態になる。あらわれ方や時期には個人差があり、特定の結果を保証するものではありません。
Q. 人間関係も、手放していいのですか?
はい。ただし「縁を切る」という意味とは限りません。相手を握りしめて、こうあるべきと期待し続けるのをやめる。それも、りっぱな手放しです。関係を続けながら、握る力だけをゆるめることもできます。距離をどう取るかは、あなたの中心が、いちばん楽な形を知っています。
Q. 手放すのが怖いときは、どうすればいいですか?
怖いままで、大丈夫です。恐れを消してから手放すのではありません。恐れを否定せず、「怖いんだね」と認めたうえで、いちばん小さなものから、ひとつだけ試す。手放せた感覚を体が覚えると、恐れは、少しずつ小さくなります。今日は握っていたい、と決める日があってもかまいません。
Q. 何度も同じ執着が戻ってくるのは、なぜですか?
手放しが、次の層まで進んだサインだからです。表面を手放すと、その下にあった、より深い執着が見えてきます。戻ってきたように見えても、握る力は、前より弱くなっています。同じところを回っているのではなく、らせん階段をのぼっている。そう思って、戻ってくるたびに、もう一度そっと手を開いてください。
※本記事は、スピラボの世界観に基づく表現を含みます。エネルギーワークは医療行為ではなく、診断・治療に置き換わるものではありません。深い喪失や死別の悲しみ、気分の落ち込みや、つらさが長く続く場合は、ひとりで抱え込まず、まず医療機関や心の専門家(グリーフケアの窓口を含みます)にご相談ください。ご紹介した体験談は個人の感想であり、あらわれ方や変化には個人差があります。特定の結果を保証するものではありません。
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