月末のライトワークに向けた準備

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楽園

2018年5月29日の満月の日を起点として、日本神界や太陽系のカルマ解除などを目的とした儀式およびライトワークを関西にて行います。

この一連のライトワークは、九州において行ったワークの続きであり、九州・出雲・伊勢を繋ぎ、日本の底力を解放する封印解除も行います。

今回のライトワークは、九州で行ったワーク以上に、関係する人が多いように思いますので、事前にひとつのテーマをシェアしていきます。

オメラスという楽園

今回の一連のライトワークの中でも、満月の日に行うライトワークのひとつは、アトランティスの真実の解放とも言える、楽園に関するワークになります。

これは社会、そして世界をどう捉えるのかという、一人ひとりの人間性や精神性を問われるような、考えさせられるテーマでもあると感じています。

このテーマに向き合った時、導かれるように出会ったのが『オメラスから歩み去る人々』という物語でした。あらすじを掲載しますので、まずはご確認ください。

此処ではない何処か遠い場所に、オメラスと呼ばれる美しい都がある。
オメラスは幸福と祝祭の街であり、ある種の理想郷を体現している。そこには君主制も奴隷制もなく、僧侶も軍人もいない。人々は精神的にも物質的にも豊かな暮らしを享受している。祝祭の鐘の音が喜ばしげに響き渡る中、誰もが「心やましさ」のない勝利感を胸に満たす。子供達はみな人々の慈しみを受けて育ち、大人になって行く。

素晴らしい街。人の思い描く理想郷。しかし、そのオメラスの平和と繁栄の為に差し出されている犠牲を知る時、現実を生きる自分達は気付くのだ。この遥か遠き理想郷は、今自分が立っているこの場所の事なのだと。
オメラスが求めた犠牲。それはこんな姿をしている。

“オメラスの美しいある公共建造物の地下室に、一つの部屋がある。部屋には錠のおりた扉が一つ、窓はない。わずかな光が、壁板のすきまから埃っぽくさしこんでいるが、これは穴蔵のどこかむこうにある蜘蛛の巣の張った窓からのお裾分けにすぎない。”

“その部屋の中に汚物まみれの子どもが坐っている。男の子とも女の子とも見分けがつかない。年は六つぐらいに見えるが、実際にはもうすぐ十になる。その子は精薄児だ。”

“その子はもとからずっとこの物置に住んでいたわけではなく、日光と母親の声を思いだすことができるので、ときどきこう訴えかける。「おとなしくするから、出してちょうだい。おとなしくするから!」彼らは決してそれに答えない。その子も前にはよく夜中に助けをもとめて叫んだり、しょっちゅう泣いたりしたものだが、いまでは、「えーはあ、えーはあ」といった鼻声を出すだけで、だんだん口もきかなくなっている。その子は脚のふくらはぎもないほど痩せ細り、腹だけがふくらんでいる。食べ物は一日に鉢半分のトウモロコシ粉と獣脂だけである。その子はすっ裸だ。”

“その子がそこにいなければならないことは、みんなが知っている。そのわけを理解している者、いない者、それはまちまちだが、とにかく、彼らの幸福、この都の美しさ、彼らの友情の優しさ、彼らの子どもたちの健康、学者たちの知恵、職人たちの技術、そして豊作と温和な気候までが、すべてこの一人の子どものおぞましい不幸に負ぶさっていることだけは、みんなが知っているのだ。

そして、この幸福に満たされた完璧な理想郷から、時々歩み去る人たちがいる。”

この物語に出会った時、私はアトランティスを想いました。

このオメラスをどうするのか、その回答となりうる叡智やエネルギーを、満月の日にこの地上に降ろしたいと思います。一人でも多くの人に関わって頂けるよう祈っています。

 

 

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